■日本のゲイ文化史を未来につなげたい
——そういう経緯があって、ゲイ・エロティック・アーティストを名乗って活動してこられて、2003年には『日本のゲイ・エロティック・アート』(ポット出版)の「Vol.1」を編纂されました。これはどういう経緯で編纂に携わることになったんですか?

田亀:こういう本があったらいいなと思ったのが1993年か1994年くらいですね。その少し前にゲイ・ブームというのが始まって。

——1991年に雑誌『CREA』がゲイ特集を組んだことをきっかけのようにして、ゲイがメディアに取り上げられるようになりました。大塚隆史さんや、小倉東さんが編集に携わった別冊宝島のゲイ3部作『ゲイの贈り物』『ゲイのおもちゃ箱』『ゲイの学園天国』も話題になりましたね。

田亀:そういうブームの中で私が気になったのは、「日本にはゲイカルチャーがない」みたいな言い方をされていたことです。それとゲイのエロティックな表現というのが全くカルチャーという文脈で取り上げられることがなかった。私はゲイ雑誌で育ってきた人間なので、あれは立派な日本のゲイ文化でしょという思いがあり、そのゲイ雑誌が育んできたアーティストたちの作品を文化と言わずして何が文化なのかという不満がずっとあった。だから、誰もやらないんだったら自分でやろうかなと思ったんです。

うちのパートナーが、私より22歳年上なんですけども、わりとそういう文化の真ん中らへんにいた人だったのも幸いしました。例えば、三島剛さんなんかとも付き合いがありましたし、写真家の矢頭保さん、波賀九郎さんなんかにも可愛がられていた。そういう人脈が豊かだったこともあって、興味深い話をいろいろ聞いていたんです。そんなこともあって、当時、ちょうど私がホームページを作りまして、その時のコンテンツの中に日本のゲイ・エロティック・アートみたいなコンテンツページを作って、そこに三島さんとか船山三四さんとか自分の好きなアーティストの画像と、わかる限りのプロフィールを載せたんです。それを松沢呉一さんが見ていて、ポット出版の社長の沢辺均さんに「これおもしろいからポットでやれば」って紹介してくれて、沢辺さんも面白がってくれた。

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