■原画収集に苦労した『日本のゲイ・エロティック・アート』
——出版社の方も乗り気だったとはいえ、まだそういったものが全くないところからゲイ・エロティック・アートの作品集を作るっていうのは大変な作業だと思います。
田亀:うん、大変でした(笑)。 原画を探し当てるとか、取材とか、私が全部やらなきゃいけないわけです。絵の順番を決めたり、テキストも全部私がやらなきゃいけないわけですから、それは本当に大変でしたよ。
——探し当てるっていうのは、つまり、それがどこにあるのかもわからなかった?
田亀:そうです。例えば、船山三四さんの作品なんかは幻みたいに言われてたんですけども、私のファンの方で1枚持ってるとか、知り合いで2枚持ってるとか、みたいな話を聞いて見つけていきました。三島剛さんは、好事家のために大量に絵を売って生活費を稼いでいたみたいなところもあって、身近に居た人ですごくいいコレクションを持っている人がいました。その人を私のパートナーが知っていたので多くの作品を見つけることができました。大川辰次さんは『薔薇族』の編集部に返却してない作品がいっぱいあるみたいな話を前に人から聞いたことがあって、伊藤文學さんから借りることができました。まあ、人脈でつないでいくと、けっこういけたって感じですね。
——構想が出てきたのが94年で、昨年末に「Vol.3」が上梓されました。かなり長い時間がかかっていますね。
田亀:まあ、途中で大きなブランクがありましたからね。「Vol.1」と「Vol.2」はわりと、そんなに極端には間をおかずに出せたんですが、「Vol.3」でやはり原画の入手が問題になって。入手が難しい作家は後に残して「Vol.1」「Vol.2」を作ったので。「Vol.3」でメインにしたかった武内条二さんと髙蔵大介さんがちょっと難題だったんですね。髙蔵大介さんは、私は個人的に親しくしていたんですけど、ある時期を境に出版社も連絡を取れないみたいな感じになっていた。もうひとつ大介さんは基本的に返却された原稿はぜんぶ捨てていたということがあって。
もう一人の武内条二さんに関してはご健在で、幸いギリギリのタイミングで私が編集部にいた頃の『G-men』に新作を投稿されてきたので、コンタクトを取ることができたんですけど、ご本人はいっさい手元には保管してなくて、ゲイ雑誌『アドン』を発行していた砦出版の南定四郎さんのところにあるはずだと。私が南さんに確認してみたら「いや、もうない」ということだったので原画発見を諦めざるをえなかった。そういう捜索に時間がかかったっていうことがありました。私は「Vol.1」と「Vol.2」に関しては原画からの収録にこだわっていたんですけども、「Vol.3」は、それでは出せないから印刷物からの複写もOKにせざるをえない。その決断をするまでに時間がかかりましたね。そのあと、まあ、ちょっとプライベートな話ですけど、私と『G-men』でごたごたがあって、ゲイ文化というか、ゲイ業界にすごく幻滅してしまって、やる気自体が失せたっていうのもあったんですね。それですごく筆も進まずみたいなのがあって時間がかかってしまったんです。