■ゲイ・エロティック・アートをアングラ化する流れに抗いたい
——「Vol.1」の制作準備を始めたころはゲイのセックスを扱った作品はまだアートとして認められていなかったですから、所有者が亡くなると遺族が作品を捨ててしまうというようなこともあったようですね。
田亀:長谷川サダオさんなんかの絵は焼かれる寸前だったところを、成山画廊がなんとか引き上げたみたいな話を聞いてますね。
——そういう状況を変えて、アートとして認めさせたいっていうことがあったんですか?
田亀:そうですね、まあ、認めさせたいというか、「私はアートだと思うよ」と提示したかったっていうことかな。外国の例を見ると、例えばトム・オブ・フィンランドの影響というのを、ロバート・メイプルソープもブルース・ウェーバーも隠さずに堂々と出すんですよ。トム・オブ・フィンランドに限らず、ブルース・オブ・ロサンジェルスとか、ビンテージのゲイ・ポルノを作っていた人たちの影響っていうのをちゃんとリスペクトとして出す。そういったものをなかったことにはしないっていうのを見てたんです。日本でそれをやりたくてもまず過去の作品に触れる場がない。だからひょっとしたら私が三島さんとか船山さんのような作家の作品を本として残せば、それに影響を受けた作家というのが出てくるかもしれない。その人たちが将来的に大家になってこれに影響を受けましたみたいなことを表明してくれたらどんどん面白くなるだろうなとは思っていました。そこらへんは日本のゲイ・エロティック・アートをひたすらアングラ化しょうとする流れにちょっと逆らってみたいっていうのはありましたね。
——ひたすらアングラ化する流れというのは?
田亀:著名な人でゲイ・アーティストのファンっているわけです。一番わかりやすいのは三島由紀夫ですよね。日本のゲイ・エロティック・アートの歴史を調べると、三島由紀夫が三島剛さんや船山さん、大川さんの作品を好きだったみたいな話はたくさん出てくる。でもセックスを扱った作品で三島由紀夫が表立って評価したのって、ゲイとは関係ない沼正三の『家畜人ヤプー』だったりするわけです。言い方は悪いかもしれないけど、隠れゲイのセレブリティみたいな人っていうのはどうしても自分のコアな部分に抵触するところは絶対、表向きには評価しない。自分のコアじゃない作品ばっかり評価するみたいなところがあって、私、それはやっぱり見てて気持ち悪いんです。
次の世代ではそういうのがちょっと変わってほしいなっていうのは思っていましたし、少なくとも私自身は前の世代で自分が好きだった人にはリスペクトを表明したいなっていうのはつくづくありました。だから、そういったものをゲイのポルノ好きの間で、秘密コレクションとして地下で流通するだけのものにはしておきたくなかったんですね。そういう意味では『日本のゲイ・エロティック・アート』をポット出版というゲイ専門の出版社ではない会社から出すっていうのも私の中ではけっこう重要だったんですよ。