■『僕らの色彩』で言いたいこと

——『弟の夫』の後に、『僕らの色彩』がはじまって今後の展開が気になってる人も多いと思います。『弟の夫』は、家族の形みたいなテーマがわかりやすかったと思うんですよ。で、『僕らの色彩』をいま読んでいて、これこのあとどう転がっていくのかなっていうのがすごく僕は個人的にも気になってるんですが、そもそものこの構想っていうのはどういうところから出てきたんでしょうか?

田亀:『弟の夫』で、ゲイであることに悩んでいる中学生を登場させたときに、ああ、この世代というのは次作の可能性の1つとしてあるなと思いました。で、もう1つ、若い世代が読めるゲイものでボーイズラブでもなければゲイポルノでもない、もうちょっと生活というか日々のいろいろな思いに共鳴したりできるような作品があったらいいなと思ったんです。

——ティーン向けのコミックですが、カフェのマスターという年配の登場人物が出て来ますね。設定としてはおいくつくらいなんですか?

田亀:定年後くらいですね、60代後半くらいかな。

——60代の人と高校生の絡みっていうのは珍しいですよね。

田亀:違う世代のふれあいというのをやりたかったんですね。ま、最初に考えたアイディアは、ちょっとボケ始めた人が自分が若いころ好きだった人と勘違いして告白しちゃうっていうものだったんです。でも、それは長編には向かないので今の形になりました。要するに好きな人に好きだと言えない少年というのと、好きな人に好きだと言わなかったことを引きずってしまっている老人というのを共鳴させてみたいなというのがありまして、マスターは時代の限界みたいなものを超えられなかった世代のゲイなんです。だから秘密をどうするのかという話でもある。

——秘密をどうするか、ですか?

田亀:要するに隠している状態の話なんですよ。ほとんどの日本のゲイ、成人も若い人も含めて、多かれ少なかれ隠してるところがあると思うので、そこをちょっとフィクションを通じて考えてみるのは有効かつ面白い題材じゃないかと思ったんです。

——誰彼なくカミングアウトする人っていないですもんね。

田亀:そう、単純に隠さなくてもいいはずのことなんだけど、なんかやっぱり隠してしまうということがあって、で、大人はある程度それに慣れてしまっていて、鈍感になってしまっているけれども、「ほんとにその鈍感さはいいの?」という。まだ自分を偽って生きることに慣れていない少年に語らせることで批評性を持たせられるかなというのがあって。

——でも、このマスターはある時から全部隠さないようになったって言ってます。

田亀:そうです。でも果たしてそれが、間に合ったのかどうかというのは微妙で、という……。

——気になるなあ! 今後の展開についてちょっとだけ教えてもらえませんか?

田亀:まあ、マスターの過去があきらかになっていくんですけどね。それで、ちょっと難しいのが、私、この主人公の宙(そら)くんをあんまり悩ませたくはないんですよね。悩んでもいいんだけど、悩むというより考えることのほうが大事だと思うんで。悩むことと考えることは必ずしもイコールではないんです。悩みがない人でも考える必要がないかっていうとそんなことはない。それと、自分が悩まないとか傷つかないという人は、それはそれでけっこうなことなんですけども、同時にそれは自分が鈍感であるという可能性も考慮しなきゃいけないと思うんですよね。必ずしも傷つかなかったり、悩まないことが良いこととも言い切れないじゃないですか。

『僕らの色彩』(双葉社)

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