なぜ台湾がアジア初なのか?

 それではなぜ台湾がアジアで最初の同性婚承認国となったのであろうか。第748号解釈を引き出した許秀雯弁護士(「台湾伴侶権益推動連盟」創設者)が、これについて整理しているので[*4]、それも参考にして台湾で同性婚の成立を促した要因について挙げてみたい。

[*4]許秀雯「十年一剣:亜洲第一是怎樣錬成的」『台湾伴侶権益推動連盟2019年度報告書』6頁以下参照。



(1)ジェンダー平等

 法律が結婚しようとする相手の戸籍上の性別を異性に限定するのは、性別により婚姻相手を制限し、性別による異なる取り扱いを認めていることになる。性別を異にする人としか結婚を認めないのは、一種の性差別にあたるとも言える。ところで、その社会の男女平等の程度、ジェンダーギャップの小ささは、同性間に婚姻を開放するうえでのひとつの前提と考えられる。この点で台湾は90年代に入り政治制度の民主化にともない、女性運動が活発化し、ジェンダー平等が急速に達成されてきた国である。
 男女平等の度合いを測る目安のひとつとして、国連開発計画が毎年発表しているジェンダーギャップ指標という世界ランキングがある。台湾は国連加盟国ではないので、ランキングには正式には登場しないが、台湾政府が独自に算出した2019年のデータによれば、163か国中、9位に位置づけられるという[*5]。もちろん、これはアジアではトップであり、日本の121位をはるかに引き離している。確かに国のトップリーダーは女性(蔡英文氏)であるし、国のあちこちの重要なポストに優秀な女性の姿が目立つ。2020年1月に改選された一院制議会、立法院の議員では、全体の41.6%を占め、世界では16位、アジアでもっとも多い女性国会議員を擁している[*6]。

[*5]http://japan.cna.com.tw/news/asoc/202001040003.aspx
[*6]https://musou.watchout.tw/read/bShaAxMptF827p9PEinO


台湾の国会における女性議員の増加傾向@沃草

 このように台湾が相対的に性別を問わない、性別による差別を許さない社会になっていたことが、婚姻における最後の性差別である異性婚主義を打ち破ることにつながったのではなかろうか。

 

(2)先行したSO/GIの法律化

 台湾は伝統的にはSO/GIを法律化する国ではなかったが、2000年代に入ってからジェンダー平等を定める法律に、性指向や性自認による差別を禁止するなどの条項が入るようになっている。性指向による差別禁止を最初に明文化したのは、2004年の性別平等教育法であった。2008年には性別就業平等法が改正され、性指向による差別禁止を明記した。

性別教育平等法にもとづく学校での性教育については、性別平等教育法施行細則が定めをおいている。いわゆる性別平等教育には、情感教育、性教育、「同志」(LGBT)教育が含まれることが規定されていた。しかし、2018年の国民投票で「同志」教育を行うことについて否定的な意見が多数を占めたため、同施行細則は以下のように改正された(2019年)。

 「本法第17条第2項が定めるところの性別平等教育に関連する課程には、情感教育、性教育、異なる性別への理解と尊重、性別特徴、性別特質、性自認、性指向教育、および性的侵害、セクシュアルハラスメント、性的いじめの防止教育などに関する課程を含み、もって学生の性別平等意識の向上を図る」(13条)。

 このように「同志教育」という曖昧な言葉をさらに詳細にし、充実させる方向で細則の改正が行われたのである。台湾華語における「性別」という概念は、単に男女という「sex」の意味に止まらず、性指向や性自認などをも含む広い含意を持つ言葉となっている。日本ではまだ法律の条文に性指向という文言は登場しないし、義務教育での性教育の内容について、これほどな詳細な明文規定はない。台湾は婚姻の平等化の前に個別の法律で差別を禁止し、教育においても明確な位置づけを与えていたのである。



(3)力強い市民運動

 台湾では1987年まで戒厳令がしかれていたことに象徴されるように、戦後長きにわたって中国国民党による一党独裁体制が続いていた。当然、自由や人権が大幅に制限され、市民運動の空間もきわめて限られた範囲に押し込まれていた。LGBTの人権運動が産声を上げるのも、2000年代に入ってからであった(連載第8回参照)。しかし、その後、短い期間で台湾のLGBT運動は急成長をとげ、台湾同志諮詢熱線協会(ホットライン)、台湾伴侶権益推動連盟(伴侶盟)、台湾同志家庭権益促進会、婚姻平権大平台(プラットフォーム)などを代表とする影響力の大きな団体が組織されていった。
 同性婚が政治的課題として明確にアジェンダ設定されたのは、2013年に伴侶盟が婚姻平等法案を含む3つの多元的家族法案を起草してからであった。これに民進党の立法委員が呼応し、法案の提出へとうごいたのである。これらNGOの動員力、影響力、資金力の大きさは、いまや台湾各地で行われているLGBTパレードの盛り上がりを見ただけでも一目瞭然であろう。2019年、同性婚元年の台北パレードは20万人を超える参加者を集めた(連載第7回参照)。
 婚姻平権大平台が呼びかけた2016年12月10日の総統府前での大集会では、多くのアライの市民を含めて参加者総数25万人を動員した(連載第5回参照)。2018年11月の国民投票の際にも、結果は反対派の圧倒的な量のキャンペーンの前に完敗したが、これらの団体を中心に若者が団結してアンチ同性婚派と果敢に闘ったことも印象深い(連載第4回参照)。台湾の婚姻平等推進運動の力強さが実感される。

 

(4)政権による後押し

 台湾の国会に相当する立法院に同性間の婚姻を成立させるための法案が最初に提出されたのは、2006年10月であった(連載第5回参照)。その後も7つもの法案が提案されてきたが、第748号解釈が出るまでは採択には至らなかった。また、戸政事務所での婚姻届の不受理を争う行政不服審査、その後の行政訴訟でも、当事者たちは負け続けた。
 こうした前に進めない状況に変化が生じたのは、2016年1月に民進党の蔡英文氏が総統に当選してからであった。蔡英文は選挙期間中に婚姻平等化を支持することを明確にし、それはいわば選挙公約となっていた。同時に行われた立法委員選挙でも、彼女が主席を務める民進党が圧勝し、民進党ははじめて完全与党の座を占めることとなった。そのため彼女が当選してからは、当事者たちはすぐにでも法律改正ないし新法制定によって、同性間にも婚姻が開放されるであろうという期待が広がった。
 しかし、実際には法案審議は遅々として進まず、与党内や内閣法務部(法務省に相当)にすら同性婚ではなく、同性パートナーシップ法を制定すべきだとする声が出てくる始末であった。蔡総統は強権を発動してまで法案を採択に導こうとはしなかったため、同性婚推進派の側では「話が違うぞ」という落胆の声が広がっていた。
 蔡総統がしくんだのは、大法官の指名権限を通じて大法官の構成を変えることで、憲法解釈を起動させることであった。蔡英文氏は2016年5月20日に総統に就任し、前任の馬英九総統に指名された大法官が任期切れとなったため、同年10月に立法院の賛同を得て、7名の大法官を新たに任命した。そして15名の大法官のなかから、蔡総統に指名された許宗力氏(台湾大学法律学院教授、ドイツ・ゲッチンゲン大学博士、公法学専攻)が司法院長に就いた。蔡総統は台湾大学法学部在学中に許院長の講義を聞いた学生である。




蔡英文氏と筆者(2014年2月21日)

 

許宗力司法院長@台湾司法院



  こうして政権交代を経て改組された司法院大法官会議は、国民党の馬英九政権下にあった2016年3月の大法官審査会では「決定猶予」とされていた祁家威氏からの憲法解釈申請につき、一転、これを受理することを決定するのである(同年11月)。許院長が蔡総統の意を受けて、リーダーシップを発揮したものと推測する。
 新たに指名された7名の大法官の認否をめぐる立法院での質疑では、立法委員から婚姻平等化への賛否が問われ、同性婚問題がいわば踏み絵のようになっていた。第748号解釈はこうした政治的局面の転換がなければあり得なかったし、それを演出したのは、明らかに蔡英文総統であったと推察される。



(5)時代に敏感な大法官

 第748号解釈は、1930年に制定された民法の規定を、1946年制定の憲法によって違憲とした。このような大胆な解釈が可能だったのは、大法官のバックグラウンドが大いに関係していると思われる。
 本件解釈作成に実際に加わった14名の大法官のうち、司法院長で大法官会議の議長を務める許宗力をはじめ7名が大学教授などの法学研究者であり、残り7名が裁判官や検察官、弁護士出身の実務法曹から構成されていた。さらに学者出身の大法官は、ドイツやアメリカなど外国で長期の研究を経て、外国の大学で博士号を取得した上で、帰国して研究職に就くというコースを歩んでいる。一般に法律実務家よりも研究者の方がこれまでの慣行にとらわれず、より敏感に時代の潮流を捉える傾向があると言えるであろう。
 第748号解釈の理由書脚注1では、2015年アメリカ連邦最高裁のObergefell判決を引用している。Obergefell判決は同性間の婚姻を認めないとする州法を連邦憲法に反するとし、これにより全米で同性間の婚姻が合法化されたものである。台湾の大法官がこのアメリカ連邦最高裁の判決を引用したことから、本件解釈がアメリカ連邦最高裁の判決を参照していることを示唆していると読むことができる。



(6)民主主義、自由、人権に依拠したサバイバル

 台湾は現在、世界でわずか15か国としか正式な外交関係をもたず、国連をはじめとするほとんどの国際組織からも閉め出されている。国民国家としての承認を国際社会からほとんど得られていない政治体であり、「国」と呼ぶのがためらわれる状態にある。いわば世界の孤児とも言うべき特殊な地位に置かれている。
 それは戦後の中国国民党と中国共産党による中国における統治権をめぐる攻防、そして国際社会の冷戦構造のなかで生まれた特殊な事情による。中華人民共和国が国際社会に加入するのにともない、中華民国台湾は1971年に国連を脱退し、その後どんどん友好国を失う坂を下っている。対岸の中国は1990年代以降、急速な経済発展を遂げるなか、いっそう国力を増強し、武力をちらつかせながら台湾に対して統一を迫っている。そうしたなか台湾の人にとっては、台湾という政治体がいかにして生き残るのかが、最大の課題となっている。
 追い詰められた台湾は中国に飲み込まれずにサバイバルするための拠り所を、民主主義、自由、人権といった先進国が共有するリベラルな価値観に求めるようになっている。民主主義を実践し、国際条約に準拠して自由や人権を尊重する。世界の普遍的価値の体現者として国際社会で存在感を示すことで、存在承認を得るというサバイバル戦略に出るしかない状況にある。婚姻における性差別の廃止(=同性婚の承認)は、そうした戦略にとっては、ごく自然な流れであったということができる。国際的な時代潮流へと身を寄せることは、台湾にとって軍事的脅威の源である中国が、普遍的価値の受け入れを拒否して、独自の道を行くなか、それは有効なサバイバル戦略となるのである。

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