20年以上にわたってニューヨークで暮らし、アメリカから日本を、そして世界を観てきたジャーナリスト・北丸雄二さん。そこで得た知見をもとに、「LGBT」で人生を読み解きます。

 1980年のモスクワ五輪は、前年7912月のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカとそれに追随した日本などのボイコット問題で記憶に残るものとなりましたが、もう1つ特筆すべきことがありました。この大会を境に、(旧)ソ連の男子体操選手たちが、競技の後で選手同士で抱き合ってキスすることをやめたのです(これって、前にも書いたっけ?)。

 ソ連では当時、男同士が人前で口と口を重ねるキスは「(社会主義の?)兄弟の接吻」としてごく普通でした(社会主義になる前はどうだったのか、ご存知の方はいらっしゃいますか? 例えばドストエフスキーの時代とか、ロシアでは親愛の情を示す行為として男性同士がごく普通にキスをしていたとも言われるのですが)。世にも有名なキスは、今もベルリンの壁に残るアートの旧ソ連のブレジネフ書記長と、旧東ドイツのホーネッカー国家評議会議長との抱擁と接吻でしょう。これは1979年、ドイツ民主共和国(東ドイツ)建国30周年記念式典での撮影写真が元です(もっとも、この絵柄は必ず「あり得ない!」「醜悪」というコノテーション〈共示〉が被さっていて、そこには男性同士のキスに対する実にホモフォビックな共感の押し付けがあるのですが、なぜかそこは「社会主義への非難」の共感に覆われて見逃されがちです)。

「ベルリンの壁」に描かれた《ブレジネフとホーネッカーの熱いキス》。
絵の下に「神よ、この死に至る愛の中で我を生き延びさせ給え」と書かれてある。

 
 ところで当時の体操ソ連のスターはアレキサンドル・ディチャーチンという(私の美化された記憶の中では)金髪碧眼の美青年で、なにせモスクワ五輪では(有力国の欠場があったにせよ)実施8種目全てでメダル獲得(個人総合などで金が3つ)という五輪史上ただ一人の記録を持つ超人でした。20歳そこそこのこの美丈夫が、競技が終わるたびに、あるいは同僚選手が競技を終えるたびに、互いに近づき抱き合ってキスをするのです。それはもう、ボーイズラブのファンが見たら惚けて失神するほどの絵面でした。

旧ソ連の体操選手、アレクサンドル・ディチャーチン

 ところがそれがなくなった。

 第二次世界大戦でアメリカの黒人兵たちが英国戦線という「他の世界」に出遭って奴隷とは違う黒人としての解放運動に気づいたように、同じく、ゲイの兵士たちが他のゲイたちに出遭って終戦後の帰還の港町にそれまでと違うゲイ地区が出来上がったように、実はオリンピックで他の世界に出遭った自国の文化が、別の視線を得て「意味」を変容させる。世界目線、というか欧米目線を知ったロシアの選手たちにとって、「兄弟のキス」の意味がとつぜん性的なものに変わってしまったのです。なので不意に世界中継のテレビから彼らの抱擁と接吻がなくなった──。

 前述した「本質主義」と「構築主義」の文脈でいえば、「黒人」も「ゲイ」も「キス」も、(我々が捉われがちな)その意味は、すべてが本質的なものだったわけではなく、それらの多くは社会的な背景によって(そのように)「構築」されたものだったわけです。

 同様のことが1988年のソウル五輪でも起きました。それまで韓国では若い男の子同士が街なかでも手を繋いで歩いていることは珍しくありませんでした。ところが韓国に世界の目が集まることで(あるいは「集まる」と意識したことで)、その風習は都市部で急速に消え去りました。男同士が手を繋ぐことに(欧米の文脈での)性的な意味が付加されてしまったわけです。

 逆に、90年代初めに私が(ソ連崩壊でバーター貿易の利益を得られなくなって経済破綻寸前の)キューバに取材に行った時には、ハバナの空港を出てすぐにいろんな男性と目が会うたびにウィンクされて「ん?」という気分になりました。それが会釈代わりだと気づくまでに半日ほどかかりましたが、北アフリカや中近東ではいまでも男同士が手を繋いで仲良く歩いているのが普通の場合が多い。出会った時と別れる時も普通に頬にキスし合います。一方で、男女が手を繋いだり握手したりキスしたりするのは、そうしたイスラム教国では世俗化した国でない限り今も大変なタブーであり、犯罪ですらあります。その延長線上には、そのような不徳不倫で一族の名誉を汚したとして家族の男が娘や妻を殺す名誉殺人と呼ばれる行為までが存在します。

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