20年以上にわたってニューヨークで暮らし、アメリカから日本を、そして世界を観てきたジャーナリスト・北丸雄二さん。そこで得た知見をもとに、「LGBT」で人生を読み解きます。

 

 映画『his』は、元々は名古屋テレビで2019年4月から5回にわたって放送された2人の男子高校生「シュン(井川迅)」と「ナギサ(日比野渚)」の恋愛ドラマだったようです。私はその番組を見ていないのですが、映画版は彼ら2人のその後、大学卒業を控えたシュンに、ナギサが「別れよっか」と唐突に切り出すところから始まります。その言葉は平安時代の「後朝(きぬぎぬ)の別れ」を強く示唆して、朝を迎えた2人が互いのセーターを交換する美しいシーンの後に呟かれます。

 もっともそこで別れたままでは映画は終わってしまいます。なので『his』はその後、東京から離れた山間の村でひっそり自給自足の一人暮らしをしているシュンを描きます。のちに会社勤めをしていたころにゲイの噂が立ったシュン自身の辛そうな回想シーンがあることから、そんな噂に生きづらくなった彼が半ば隠遁でもするようにその村に越してきたことが示唆されるのですが、そこにまたまた唐突に、6歳だという娘・ソラ(空)を連れたナギサが訪れて来るのです。しかも「しばらくの間、居候させてほしい」と言って(今回は若干ネタバレが含まれるので、悪しからず)。

 ソラの年齢から考えて、あの「後朝の別れ」から7、8年は経っているはずです。勝手にいなくなって勝手にまた現れて、しかも女と結婚して子供ができて──「何を今更……」、私は宮沢氷魚演じるシュンに「はいダメ、はいダメ、今すぐとっとと追い返せ!」と激しく念を送っていたのですが、もっとも、それでもまた映画はそこで終わってしまいます。

 考えてみれば、未来にではなく、過去のつかの間の幸せの時にしか希望がないように思えた年齢(時代、社会)というものもあるのでしょう。田舎暮らしに引っ込んだシュンはまさにそうだった。だから彼は戸惑いながらもあの「過去」とふたたび暮らすことを自分に認めるのです。たとえそれが思い出の中の幸せ、つまりは「過去形の希望」だったとしても。

 シュンにとっての、そして観客にとってのナギサの身勝手さはソラの天真爛漫さによって相殺されるように見えます。けれどそうした奇妙な3人暮らしは、すでに危うさを含んでいます。ナギサは妻レナ(玲奈)とソラの親権を巡って離婚調停中の身であることが明かされます。その危うい縺れとそこから裁判へと進む過程が副プロットとして並行します(ここでのレナの描かれ方もまたナギサの身勝手さを相対化して、いささか可哀想すぎますが)。さらに村では、シュンとナギサの関係が知られることになります。気まずい沈黙と距離感……。

『his』
2020年1月24日(金)より新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
配給:ファントム・ フィルム
©2020映画「his」製作委員会

 
 さてここから物語は「起承転結」の「転」に転じます。シュンと懇意にしてくれていた老漁師の緒方が急逝します。緒方は、ゲイの噂が流れているときにシュンを猟に誘い出し、山の中でふと立ち止まって「誰が誰を好きになろうとその人の勝手やで。好きに生きたらええ」と言ってくれた人でした。
 その通夜の席で、酔いも回った村人がナギサに「あんたら、男同士で付き合ってんのか?」と問い掛けます。彼は「違いますよ」と軽く笑ってごまかしますが、しかし一方で感極まったシュンは立ち上がって「みなさん、話を聞いてもらえますか?」と突然のカミングアウトをするのです。
「ぼくは日比野渚のことを愛しています」

 観客の私はヒヤヒヤします。そこを掬い取るように、根岸季衣演じる婆さんが「この歳になったら男も女も関係ねぇ。どっちでもええわ」と言って、場は笑いの中で2人を受け入れるのです。それだけじゃありません。たしか同じ婆さんが、シュンに「長生きしろ」と励ますセリフもありました。観客の私はしみじみとした思いの中でウルっとしてしまいます。
 これがこの映画の肝の部分です。もう1つ、どちらが親として相応しいかを争うナギサとレナの離婚裁判でも、ギスギスした弁護士双方の議論を遮るのはナギサの謝罪の言葉でした。こちらも人間としての、私的な、個人の思いがその場を救うのです。

 社会的な様々な逆境を描きつつ、それを声高に訴えたり批判したりするのではなく、淡々と静かに個々の観客の心に滲み入るように印象づけていく。そのために、映画表現の中では様々な逆境が個々人の登場人物の善意によって報われたり救われたり労わられたりする。悲劇や困難は、私的な領域の中で個人の善意によって回収されていくのです。

『his』
2020年1月24日(金)より新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
配給:ファントム・ フィルム
©2020映画「his」製作委員会

 そう考えたとき、私にはもう1つの日本映画が思い出されました。河瀨直美監督の『あん』(2016年)という映画です。永瀬正敏演じる訳ありのどら焼き屋さんに(なかなか美味しい餡が作れなくて売れないのです)、樹木希林演じるお婆さんが仕事を求めて訪れて、絶品の餡作りを伝授する、というお話です。

 美しい桜の景色から始まる物語は淡々と、けれど着実に進んで行きます。なるほどよくあるグルメ映画かと思うころに、最初に描かれたお婆さんの手指の変形という伏線が顔を出してきます。彼女はそう遠からぬ所にある「らい病」つまりハンセン病患者の施設(旧・隔離施設)から通っていることが明らかになるわけです。そしてその噂によって客足が遠のくことになる──。
 これもまた心に滲みる佳作です。客が来なくなったことで、お婆さんはその店でのアルバイトを辞して「園」に戻ります。映画は「世間」の偏見と無理解とに直接対峙するわけではありません。店主の無言の悔しげな表情と、そして店の常連だった女子中学生(演じるのは樹木希林の孫・内田伽羅)と2人しての「園」訪問と再会とが、かろうじてこの病気を取り巻く「差別」と「やるせなさ」の回収に機能します。そして『his』と同様、『あん』は観客の心に何らかの種子をそっと置いて終わるのです。

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