東シナ海に浮かぶ島、韓国の済州(チェジュ)島。温暖な気候と、ユネスコの世界自然遺産に登録されるほどの豊かな自然が多くの観光客を惹きつけている。

そんな済州島で初めてとなるプライド・パレード(韓国ではクィア・パレードと呼ばれる)が10月28日に行われ、1,000人の人びとが街を練り歩いた。おりしも台湾の台北で、アジア最大規模となる12万人が参加した「台湾同志遊行」(Taiwan LGBT Pride)が行われているのとほぼ同時刻だった。

しかし、すべてが順調に進んだとは言い難い状況だった。パレードの組織委員会が立ち上がったのは2017年8月28日。人口わずか60数万人の済州島では、性的マイノリティの人権は保護されるどころか排斥されてきた、それを撤廃したいとの思いでパレードを行なうことを決意した。

組織委は、開催場所を海水浴場にする方向で調整を進めていたが、地元民の反対にぶち当たった。「偏見を持っているわけではないけど、地元民の感情にそぐわない」との理由だった。韓国社会では性的マイノリティの人権を巡り様々な議論が起きていることから、波風を立てたくなかったのだろう。

そこで、済州市内中心部の新山公園に場所を移して開催することにした。ところが、一度は公園使用許可を受理した済州市は、苦情が殺到したなどの理由で許可を取り消してしまったのだ。組織委は取り消しの取り消しを求めて裁判所に訴えた。

司法は組織委員会の訴えを認め、無事に公園が使えることになった。しかし、パレードはヘイトまみれとなった。

会場となった公園は、「同性愛者はエイズを撒き散らす」「子供たちがエイズで死ぬ」といった、偏見に満ちたプラカードを持ったパレード反対派に取り囲まれた。プラカード片手に自分の子どもに「あいつらは気持ち悪い、殺してしまえばいいのに」と差別感情を吹き込む母親を見かけて、背筋が凍る思いをした。

済州クィアパレードの出発地点でヘイトプラカードを持ちパレードを囲む反対者。顔バレしないようにマスクをしている。

済州市内を進むパレード。

やがてパレードが通りに繰り出したが、反対派はパレードに並走して参加者を罵倒し続けた。中には「再び4.3事件を起こさないためにも、こんなことはやめろ」とがなりたてる人もいた。

「4.3事件」とは、韓国軍・警察が1948年から1954年まで、共産主義者の武装闘争を鎮圧する過程で当時の人口の1割にあたる3万人を虐殺したという悲劇的な事件だ。虐殺には西北青年団というキリスト教系極右団体が加担した。同じクリスチャンが4.3事件の虐殺を持ち出すことは、性的マイノリティのみならず島の人々の心をひどく傷つけることに他ならない。

地元出身の25歳の男性は「歴史的経緯でクリスチャンが少ない」「クリスチャンであっても、地元の人ならあんなことは絶対に言わない、陸地(韓国本土)から来たやつに違いない」「済州島で4.3事件を粗末に扱うことは絶対に許されない」「お前らをまた虐殺してやると宣言したもの同然」と激怒していた。

また、25歳の男性は「済州島の人はみんな知り合い同士、こんな狭いコミュニティだから誰に見られるかわからないと考えると参加するのが怖かった」「自分が知らない人でも、母親の友達かもしれないし、親戚かもしれない」と不安を拭いきれない様子ながらも、「ソウルや大邸で開かれるパレードを見て羨ましく思っていた」と参加を決意した思いを語った。

パレードに反対する人々は「エイズ患者の9割は男性同性愛者」「“同性愛祭り”を許可した済州市は青少年エイズ拡散の原因」「島民感情と性的倫理を崩壊させる同性愛クィア集会に反対する」などと書かれたプラカードを持って沿道に沿ってパレードを追走し、参加者に罵声を浴びせかけ続けた。

沿道からパレード参加者に向けてヘイトプラカードを掲げる反対者。

韓国統計庁の人口住宅総調査(2015年)によると、済州島の全人口に占めるクリスチャン(プロテスタント)の割合は10.0%。ソウルの24.2%はもちろん、全国平均の19.7%より低く、全国で最も少ない。

組織委員会はパレード開催後に発表した声明で、「驚くほどの連帯を経験した」と明かした。参加者、ボランティアに加え、支援団体、弁護士、通訳、近隣住民、商店、警察、メディアのおかげでパレードが平和裏に行われたとして、「ポクサク・ソガッスダイェ」(済州の方言で「お疲れ様でした」の意)と感謝の意を表した。

取材・文/植田祐介(韓国語翻訳者、ライター)

■済州(チェジュ)クィア・カルチャー・フェスティバル 2017

日時:2017年10月28日(土)
テーマ:「クィア・オプソイェ!」(済州の方言で「クィア、いらっしゃい」)
参加者数:約1,000人