[Part 1]では、田亀さんのライフワークとも言える『日本のゲイ・エロティック・アート』シリーズの編纂について伺った。[Part 2]では、田亀さんご自身がどのようにしてゲイ・エロティック・アーティストとなっていったのか、ライフストーリーをお話しいただくとともに、連載中の作品『僕らの色彩』への思いも聞いた。田亀源五郎のルーツと現在が明らかになる。
マンガ家/ゲイ・エロティック・アーティスト。1964年生まれ。多摩美術大学卒業後、アートディレクターをしつつ、86年よりゲイ雑誌にマンガ、イラストレーション、小説などを発表。94年から専業作家となり、ゲイ雑誌『G-men』(ジープロジェクト)の企画・創刊にも協力(2006年に離脱)。同時に、日本の過去のゲイ・エロティック・アートの研究、およびその再評価活動を開始。2003年〜2018年にかけて『日本のゲイ・エロティック・アート』(Vol.1〜Vol.3/ポット出版)シリーズを編纂。また、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツなどのゲイ・メディアでも活動開始。『弟の夫』(双葉社アクションコミックス/全4巻)で第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第47回日本漫画家協会賞優秀賞、第30回アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞。『銀の華』(ポット出版)、『嬲り者[復元完全版]』(ポット出版プラス)、エッセイ『ゲイ・カルチャーの未来へ』(Pヴァイン)など著作多数。また、『The Passion of Gengoroh Tagame』(PictureBox)、『Gunji』(Bruno Gmünder)など海外での著作も多い。●オフィシャルサイト:http://www.tagame.org
■ゲイより先にSMに目覚めた少年時代
——田亀さんがゲイであることを自覚されたのは何歳くらいの頃なんですか?
田亀:私ね、ゲイより先にSMに目覚めちゃったんです。ゲイ雑誌より先にマルキ・ド・サドを読んじゃったんですよ。映画が好きで『スクリーン』っていう映画雑誌を小学校高学年の頃から毎月買ってたんですね。ある時、そこに『ソドムの市』の広告が出てたんです。すごい写真がいっぱい載ってて、でも成人映画だから見れない。でもなんとかして内容を知りたいなと思ったら文庫版が角川書店から出てて、それを買ったのがはじめての官能文学との出会いです。中学1年の時ですね。
——ませてるというか、いきなりそんな古典からっていうのがすごいですね。
田亀:まあ、衝撃でしたよ。もう興奮したかどうかも分からないくらい興奮しましたね。で、真似して話を書いたりとか。それに自分でちょっと挿絵つけたりとかしました。それが最初のエロ表現でしたね。振り返って考えると、私、小学生の頃から、テレビでやってるターザン映画でターザンが捕まって縛られるシーンが好きだったし、『十戒』でモーゼが鎖つけて引き出されるシーンが好きだったし、『ベン・ハー』でガレー船の漕ぎ手が鞭打たれるのを見るのが好きだったし(笑)。だいたい、たくましい男が痛めつけられるのを見るのが昔から好きだったんですよ。
——栴檀は双葉よりってやつですね。
田亀:居間に毛皮の敷物があったので、裸になって、それを腰にまいてターザンごっこしてました。それが自分にとってセクシュアルなものだっていうのは無自覚ながらも薄々わかってたんだろう、というのは、親がいない時にやってたんですよね。堂々とはやってなくて、秘め事としてやってたということはある。
——ゲイリブとかLGBTムーブメントの中で、同性愛っていうのは先天的なものだから差別するなって言い方があるじゃないですか。そういう言い方でいってたとえばSM志向とかそういったものは果たして先天的であるのかという。
田亀:うーん、そうね、私、同性愛は先天的なものであるからっていうのに関してはちょっと言いたいこともあって、それを「差別するな」の理由にするのはちょっと違うと思うんですね。それは先天的であろうと後天的であろうと可変的であろうと差別してはいけないっていう。誰も差別してはいけないよっていう。それを差別の話と結びつけるのは疑問があるんです。ただし、同性愛治療みたいなものの歴史を考えてくると、それが矯正できるものであると考えられては困るという。そこへの対抗言説として先天的なもの、もしくは不動のものであるというか他者の干渉を受け付けないものであるというのは良いと思います。SMに関しても先天的なのか後天的なのかはわからないけど、ま、どっちでもいいかなと(笑)。
——なるほど。で、田亀少年はスクスクとSMを吸収しながら育っていって。
田亀:いや、ちょっと悩みながら育っていきました。