「LGBTは、ロールモデルがない」なんて、よく言われています。

この前はNetflixの人気番組『クィア・アイ』に出演しているタン・フランスもインタビューで言っていました。そもそも、「ロールモデル」って何ですかね。私、イマイチよくわからずに、今までこの小難しい言葉を使っていました。ごめんなさい。自分が大人になったらこんな人になりたい、っていう存在のことだと思うけれども、そういう人って、本当に……いったいどんな人?

レディー・ガガやエマ・ワトソン、ミーガン・ラピーノ、F(x)のアンバーとか本当にめちゃくちゃ可愛くてかっこよくて憧れるけれど、私が今からどう頑張っても彼女たちみたいになれるわけない。「なれるよ! 無理だと思ったらダメだよ」って応えるのが正義なのかもしれません。でも実際、そんな体力ないし、去年怪我した右足がまだ痛いから走るのも無理、貯金もないし、どんなに大好きな仕事していても偏頭痛でしょっちゅう休まなきゃいけないし。あこがれの人の彼女になれるように頑張ることはできるかもしれないけど、絶対24時間も続かない。「ロールモデル」って何だ? 逆に、「ロールモデルが居る人」ってどんな人? 異性愛者はみんな、ロールモデルが居るの?

ぼんやりと考え続けて、最近、腑に落ちてきたことは、「ロールモデルがない」って言って訴えている内容はつまり、社会との繋がり方がわからないってこと。あくまで私の考えですが。

父母や兄弟姉妹とは本音で話せず、しばらく会ってない。子供もいない、産まれる予定もない。会社で昇進することにも興味が無い。周囲の人に祝福されるような予定がない。犯罪を犯す以外に、今後、社会と関わることが無いのかも。

こんな状態の時に、資格の勉強とか美容とか頑張る気に全くならないし、自分とあんまり関係ない他人の幸せな姿なんて見たって、アラを探しまくるでしょう。むしろ、高い目標に向かって頑張ったり、努力が報われている人の姿を見るのが辛い! 「私の努力可能な範囲で、ちょうどよくかっこいい手の届く都合の良い人いないかな。」そう考えたときに、ひらめいたのです。あ、私がちょっと努力すれば良いのか、ということです。決してナルシストではありませんのでご安心ください。

ちょっとだけ、私もこの社会で生きる場所があるんだ、と思えるだけの努力で良いのです。

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