日に日に、現代社会が、ディストピア小説らしさを深めており、だんだん気持ち悪いともなんとも思わなくなってきてしまいましたね。そんなときにオススメしているのが小説です。残念ながら、小説は、内閣の不正を追求したり、消費税を無くしてくれたり、薬を買うための補助金をくれることはありませんが、でも今私たちが客観的にどんな状況に居るのか、私たちができる事は何かを教えてくれます。

誰でも、仲の良い友達のことを語るよりも、自分がどんな人間なのか理解し説明することのほうが、とても難しいと思います。履歴書や入学願書の自己PRを書いたことのある皆さんは、書くために、どんな工夫をしましたか? 先生と面接しましたか? 先輩や友達にたくさん質問しましたか? 自己PRの本を買って、分析や診断をしてみましたか? 自分自身の姿を認識することが難しいように、同じぐらい、私たちの社会がどんな状況にあるかはとても認識しにくいものです。先輩や、外からのアドバイスが必要です。それは歴史書でも良いし、漫画でも良いし、小説でも良いのです。大事なのは、いろんな方法を試してみること。最初の1個で、完全に納得することは、あまりありませんから。1回現実から離れてみても、大丈夫。私たちは現実を無視しては生きていけませんので、いつか自然と戻って来れます。

これまでこの連載で、結構いろいろタイプの小説をご紹介してきましたが意図的に避けてきた分野があります。いわゆる、ファンタジーとSFです。
とても大雑把に説明すると、『ハリー・ポッター』とか『指輪物語』がファンタジーで、映画で申し訳ないんだけど『インター・ステラー』とか『ブレード・ランナー』がSFと分類されると思います。魔法とか宇宙船とかドラゴンとか宇宙人とかが登場して、今まで紹介してきた小説よりも随分、現実離れしていると思います。
どんな小説も、たとえ「私小説」と呼ばれているものでも、架空の物語です。出版社のイベントに行ったってエルフに会えるわけでもないし、ロンドンに行ったって、ハリー・ポッターが乗った電車は存在しません。けれども、完全に虚構という訳ではありません。
架空の人魚の国のお姫様が、魚たちと歌を歌ったり難破船からフォークを拾ったりする日常生活のお話は、素敵ですけれども、時代を超えて多くの人に愛されるのはなかなか難しいでしょう。でもそこに、心配性で口うるさい友達とか、人種(かしら?)違いの恋とか、めっちゃ嫌な奴とか、恋のライバルとかが登場することによって、現実を生きている人の心を摑むのです。ファンタジーもSFも、現実の描写と、虚構の創造の絶妙なバランスをとりながら書かれています。
現実を描写するとはつまり、クィアな登場人物が描かれている作品もあるということです! 先述の『ハリー・ポッター』の主人公たちが通う魔法学校の校長ダンブルドアが同性愛者というのは有名なお話です(詳しくは、専門家である北村紗衣先生の分析がありますのでそちらをご覧ください。「ハリー・ポッターとイギリス文学における同性愛~『ハリー・ポッターと死の秘宝』精読」。メアリー・シュリーが生み出した『フランケンシュタイン』の人造人間も、性別の無い新しい生命体として描かれています。そうそう、吸血鬼の元祖と呼ばれているレ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』は女性を誘惑し血を吸う女性の吸血鬼です。「男」や「女」の枠から超越することは、長い間、人々の関心であったようです。

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