台湾における婚姻平等化運動の時期区分

 以上で述べたように、台湾は元来けっしてLGBTフレンドリーな社会ではなかったが、その後、急速に日本を追い越して婚姻の平等化を実現してしまった。ここに至る当事者などによる同性婚要求の運動は、本連載第6回で紹介したように、1986年に祁家威というたった1人のゲイから始まった。しかし、それは奇特な個人による孤立した活動に過ぎず、同志コミュニティ内部でも同性婚の推進について必ずしもコンセンサスは得られていなかった。

 2000年代の初めくらいまでは、同性家族の法的承認という課題を、果たしてLGBTの人権運動の目標に据えるべきかどうかをめぐって、運動体内部でも意見は3つに分かれていたという。第1に婚姻制度の廃止を主張する立場(婚姻廃止論)、第2に現有の婚姻制度に同性カップルの包摂をもとめる立場(婚姻平等化論)、第3に婚姻にとらわれない多様な家族のあり方を追求する立場(多元的家族論)であった。しかし、その後、政治状況の変化ともあいまって、事態は急速に変転を遂げることになる。婚姻平等化の有力な推進者である「台湾伴侶権益推動連盟」の簡至潔秘書長によれば、台湾同性婚運動史は以下のように3つに時期区分することができるとする(*5)。

 第1段階 2006年以前 アイデンティティ運動段階

 第2段階 2006年~2008年 目標模索段階

 第3段階 2009年~2019年 婚姻平等化推進段階

 以下、この時期区分にしたがって運動の歴史の流れをたどってみたい。

[*5]簡至潔「従『同性婚姻』到『多元家庭』――朝向親密関係民主化的立法運動」台湾人権学刊第1巻第3期(2012年)187頁以下参照。

第1段階 アイデンティティ運動段階

 LGBTの運動にとって同性間の法的婚姻の要求を目標として掲げるかどうかは、けっして自明ではない。婚姻はある意味、異性愛社会で長きにわたって女性や子どもを統制、支配する装置として機能してきた面がある。台湾でも異性愛者のために作られた父権主義的な婚姻という制度自体を批判すべきであって、同性愛者がこれを求めるべきではないとの意見も強く主張されていた。また、そもそもLGBTの当事者運動には、同性婚のような巨大な課題の実現を推進する資源は備わっておらず、目標としてあまりにも遠く、現実性のないものとも思われていた(王蘋など)。

 台湾では小説、雑誌、映画などの文芸の世界では70年代以降、同性愛を題材とした質の高い作品が多く発表され、後にそれらは「同志文学」と呼ばれる独自の分野を形成する。しかし、組織的なLGBT当事者の運動は、戒厳令の解除(1987年)後、政治社会の民主化(1990年代)にともなってようやく芽を出すに至る。LGBTの社会団体として最初に公に活動したのは、1990年に発足したレズビアン団体「我々の間」であったといわれる。その後、台湾大学・男同性恋問題研究社“Gay Chat” が1993年に発足するなど、台湾では各大学の当事者サークルが活発化する。この時代は文化的な活動を通じてアイデンティティの確立を目指す親睦団体的色彩のグループ(identity-based movement)が主体であったという。

 台湾で結婚する権利が運動の中心に据えられなかった理由を、90年代のレズビアン運動の中心にいた魚玄は、以下のように話している。「ポイントはどちらかというと、脱スティグマ、アイデンティティの確立、仲間を作ること、恋愛すること、そしてそれぞれの主体的内実を発展させることにありました」(*6)。

 2000年になると台湾同志諮詢熱線協会(内政部)、台湾同志人権協会(高雄市)、台北同志権益促進会(台北市)が正式な登録を経るなど、当事者団体の組織化、社会的可視化が進展する。人権立国をスローガンに掲げた陳水扁政権が誕生し、2001年には行政院が人権保障基本法草案を作成した(連載第5回参照)。なんとその24条に「国は同性愛者の権利利益を尊重しなければならない」(1項)、「同性の男女は法にもとづいて家族を形成し、子どもを養子に迎えることができる」(2項)と規定した。しかし、政治世界におけるこうした注目すべき動向は、当事者運動が下から突き上げた結果ではなく、むしろ上からの唐突な提案であった。当事者運動側にはまだ政治サイドからの善意に応えるだけの準備は整っておらず、法案も採択に至ることはなかった。


[*6]簡至潔・前出191頁。


第2段階 目標模索段階

 2003年から台北で同志パレードが始まり、「同性婚姻合法化」というスローガンもちらほらと聞かれ始めた。2006年になると、台湾最初の同性婚を承認するための民法改正案が、蕭美琴立法委員によって立法院に提出された(連載第5回参照)。しかし、当事者サイドには同性パートナーシップ制度による法的家族の確立を主張する声もあり、これを当事者団体が一丸となって後押ししていく状況にはなかった。

 そうしたなかで同年には女性団体の老舗、婦女新知基金会に「多元的家族チーム」が立ち上がり、家族の多元化に向けた議論を開始した(*7)。婦女新知ではもともとレズビアンのメンバーが活動していて、その視野には以前から性指向の課題も入っていたという。婦女新知はその後、婚姻制度とは別途に性別を問わない「パートナーシップ制度」を創設する方向を目指して、法案の作成などに取り組んだ。

 このように当事者および女性団体の内部では、この段階では運動の方向性が明確には定まってはいなかったのである。


[*7]沈秀華(鈴木賢、梁鎮輝訳)「婚姻平等化における台湾女性運動の貢献」日本台湾学会報21号(2019年)1010頁参照。


第3段階 婚姻平等化推進段階

 こうした状況に変化が生じたのは、婦女新知基金会が「多元的家族チーム」を基礎にして、2009年に台湾伴侶権益推動委員会を発足させてからであった。同委員会は婦女新知が台湾同志諮詢熱線協会、台湾女同志拉拉手協会(レズビアン団体)、同志家庭権益促進会(LGBTの子どもの権利にかかわる運動をする団体)に呼びかけて、結成された。その後、同委員会は婦女新知のオフィスに間借りする形をとって、台湾伴侶権益推動連盟(Taiwan Alliance to Promote Civil Partnership Rights, TAPCPR)として独自の団体へ成長する。2012年8月、伴侶盟は内政部に正式に登録し、立法、司法、社会的アドボカシーなどを通じて多元的家族の推進、LGBTIに対する差別反対運動を展開するようになる。2012年10月開催の第10回台湾LGBTパレードのテーマは、「婚姻革命――婚姻平等、多元的パートナー」であった。

2012年第10回台湾パレードロゴ

 伴侶盟はLGBTの家族に対する法的保障の問題に専門的に取り組む台湾で最初のNGOであり、その活動は以下3つの特徴を備えていた(*8)。第1に、女性運動とLGBT運動を統合した団体であり、当初から「多元的家族」という視点をもっていたことである。つまり、婚姻至上主義を掲げていたわけではなかった。第2に、同性間の婚姻を「反差別、LGBTの平等の獲得」というレベルに位置づけ、「同性婚合法化」という言葉ではなく、「婚姻平等化」という目標を明確に設定していた。第3に、台湾の実情に即して自ら法条の起草を行い、議論をより具体的なレベルへと引き上げた。

 2013年10月3日、伴侶盟は「婚姻平権草案」(婚姻平等化法案)、「伴侶制度草案」(パートナーシップ制度法案)、「家屬制度草案」(多元的「家」制度法案)という3つの民法改正案を同時に公表した(連載第5回参照)。これらの法案は「多元的家族」法案としてワンセットのものであったが、このうち婚姻平権草案だけが、2013年に鄭麗君立法委員により国会へと上程された。その他の法案については立法委員から賛同が得られず、結局、上程されることはなかった。

 伝統的な家族制度にはなかったパートナーシップ制度や性愛とは無関係の親密圏の設定を認める「家」制度法案(*9)には、キリスト教団体をはじめとするアンチ勢力がより強く反対した。そのため運動側はテーマの組み替え(agenda diversion)を迫られ、その後、伴侶盟をはじめとする当事者団体は婚姻平等に運動の資源を集中することになった。結果として、同性間における結婚法制化だけが社会的に注目されるテーマとなっていった(*10)。

 伴侶盟の初代理事長・許秀雯(レズビアン)は弁護士であり、法案起草のほか、訴訟支援にも力を入れた。1986年から同性婚を求めて孤軍奮闘していた祁家威氏は、2013年3月、戸政機関に再度、結婚登録を求めたが、拒否された。その後、行政不服審査を経て、台北高等行政法院に行政訴訟を提起し、敗訴した。第2審は必ず弁護士による代理が必要とされていたことから、伴侶盟に代理人を依頼し、最高行政法院へ控訴した。2014年9月に最高行政法院でも敗訴が確定し、救済手続が尽きたところで、許弁護士が司法院大法官への憲法解釈要請書を作成し、提出した(2015年8月20日)。

 蔡英文政権の成立後(2016年5月)、司法院長、副院長をはじめとする7名の大法官が新規に任命された(同年11月1日)。そして改組後の大法官会議は、11月下旬に本案を受理することを決定し、2017年5月の司法院釈字第784号解釈を引き出すことになる。同年3月24日の大法官会議が開いた口頭弁論では、許弁護士が祁氏の代理人として同性婚を規定しない民法の違憲性を主張した。

 また、2014年8月には伴侶盟は、30組の同性カップルを引き連れて戸政事務所へ出向き、そのうち3組については行政不服審査を提起した。このような伴侶盟による法案起草や訴訟提起などの法律専門家としての活動を通じたアプローチは、婚姻平等化実現にとって決定的に重要な貢献となった。

[*8]簡至潔前出・195頁参照。

[*9]「性」とは切り離された、永続的な共同生活とお互いの助け合いを支える制度で、一対一の関係に限定せず、3人以上の者の間でも設定可能とされていた。このためキリスト教団体からは3P、4Pを認めるのかという無理解な批判が浴びせられた。

[*10]官暁薇前出・598頁参照。

2016年の立法委員選挙に出馬した許秀雯氏と筆者

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