前回は私たち婦婦(ふうふ)が、どのようにして子供を授かることになったかの経緯を共有させていただきました。さて、今回はまず、絵本の紹介から始めさせていただきます。さまざまな「色」や「形」の家族があり、そのどれもが特別であることをやさしく教えてくれる一冊があります。それがこちらです。

(写真:The Family Book by Todd Parr)

日本語でも、『いろいろかぞく』という題名で翻訳・出版されているようです(トッド・パール作/穂村弘 訳『いろいろかぞく』フローベル館)。機会があったら、手に取ってみてください。動物とカラフルな色を使って、子供にわかりやすく、小難しい言葉など一切使わずに、どんな家族もかけがえのないものであることをシンプルに語ってくれる、私も娘も大好きな一冊です。ママが二人いる家族もいるし、パパが二人いる家族もいる、というページもあります。

*『The Family Book』の朗読動画はこちら(英語)

「普通ってなんだ?」と、私はこの連載で、皆さんにも自分にも、問いかけているのですが、今回は「国籍」について考えてみたいと思います。

アムステルダムならでは? 多国籍保育園

私たちの娘は先日3歳になりましたが、1歳のころから家の近くの保育園に通っています。その保育園には15人くらい、0歳から4歳までの子供たちがいます。その中で、両親ともオランダ人の子供は半数程度です。保育園のオーナーが中東生まれスペイン育ちで、オランダに移民として来た方なので(この時点でややこしい)、アラビア語とスペイン語、もちろんオランダ語を話すことができます。そのせいもあって、保育園にはスペイン語圏から来た両親のお子さんも何人かいます。子供たちの両親の国籍はさまざまで、ざっと挙げてみると、ドイツ、スペイン、ポルトガル、フランス、アルゼンチン、エクアドル、トルコ、エジプト、ブラジル、コートジボワールなど。

多国籍であることと、両親たち自身がオランダ人ではないというマイノリティーに所属しているからか、私と妻がレズビアンカップルであることについて何も聞かれたことはありません。無関心という感じではなさそうですが、それ(同性カップルであること)よりも、むしろ私が日本から来ていることのほうが興味の対象になります。オランダに移住してきて、ガードが下がっていたとはいえ、ほとんど何の質問も受けないことに、肩透かしを食らった感もありました。

娘のおもちゃについてきた説明書。欧州では多言語マニュアルはかなり一般的ですが、この説明書も10言語に対応してました。

アムステルダムならではなのかもしれませんが、私の周りは本当に多国籍で、さまざまな背景の方々がいらっしゃいます。日本にいたときは、「在日韓国人」で、しかも「同性愛者」という自分の属性を強く意識していました(ある意味、自意識過剰だっただけかも?)。ところが、アムステルダムに住み始めたとたんに、「そんなことはどうでもよい」という気になり、さらには「それら(属性)を意識することがほとんどない」という進化を遂げました。それはきっと、多国籍な環境ゆえに、オランダ人以外がほぼほぼ「外国人」という枠組みでくくられていて、その細かな詳細について聞かれることもないし話すこともほぼないからではないかと思います。

もちろん、オランダと日本は友好関係が400年も続いている、という事実はありますが、普段の生活でそういったことを意識する人は少ないです。ごくまれに、私の苗字が「キム」なので、韓国人なのか? と聞かれることがあります。「私の父は韓国系で、母は日本人だから、名前がキムなのよ。でも日本生まれ日本育ちで、韓国語は話せないの」と答えると、たいていは「ふ~ん」で、会話が終わります。ヨーロッパは陸続き。両親、祖父母の国籍が違ったりするのは、私たち(私は40歳ですが)の世代では、珍しいことではないようです。私の娘の世代では、国際カップルの数はもっと増えてくることでしょう。

大学院の同級生男子三人の国籍は、スペイン、イタリア、ポルトガル。クラスの構成比は60人中30人がオランダ人、そのほかがインターナショナルです。オランダの普通の大学院のクラスですが、英語での授業なので、欧州中心に15か国の学生が在籍しています。

「移民」と聞くと、どんなイメージがわきますか? 日本にいたときは在日韓国人である自分について小さいころから考える機会がありました。私がオランダに来た当初の目的は勉強でしたが、就職したり家族を持ち、オランダで暮らすようになって、いつしか自分も「移民」になっていました。オランダにはあらゆる国から短期的、長期的に滞在する人たちがいます。自分はその多くの人たちの一人に過ぎず、自分が「背負って」(と思って)いた在日韓国人というラベルは、この国にいる限りは、メリットでもデメリットでもない、差別の対象にもならないことを実感しています。

将来海外で勉強してみたい、生活してみたい、という方が読者の方の中にもいるかもしれません。すでに海外に留学したことがあるという方もいることでしょう。海外に出ると、なおさら自分の属性(日本人であることや、性的指向)について考える機会もあると思います。行く国にもよるかもしれませんが、自分がゲイである、レズビアンであるということが、「別になんてことはない」と感じる瞬間もあるかもしれません。海外に出なくても、外国人の友人と会話することで自分のアイデンティティーに関して新たな視点が持てるような体験もあるでしょう。

大学院の図書館にぶら下がっていた「俳句」や「詩」。日本語もあって驚きましたが、英語、スペイン語、中国語、ロシア語、オランダ語など、ざっと見ただけで8言語くらいぶささがってました。

日本で暮らす以上、日本国籍を持っている、日本人であるということは「普通」の感覚ではないでしょうか? その「普通」って、どんな感じでしょう? マジョリティー(日本人)とマイノリティー(在日韓国人)、性的マジョリティー(異性愛者)と性的マイノリティー(LGBT)、私はたまたま2つのカテゴリーでマイノリティーに属しています。かといって苦労がそれだけ多い人生だ、と言いたいわけではありません。誰もがみんな、どこかでマジョリティーに、またはマイノリティーに属する経験があると思います。こう考えるとますます、普通ってなんだろうなあと、自分で問いかけておきながら考えがめぐる今回のブログでした。

■金 由梨
東京都台東区出身。2009年にエラスムス大学大学院留学のためオランダに移住。
2010年に同性パートナーとワシントンDC(アメリカ)で結婚。現在アムステルダム在住。2歳9か月になる娘の子育てに奮闘しつつ、アムステルダム自由大学大学院にてHRマネージメントを勉強中。

バックナンバー