前回は国籍について考えてみました。今回は「男女性差」について考えてみたいと思います。「世界経済フォーラム」による2018年の「ジェンダーギャップ指数」(対象国:149カ国)が先日発表されました。社会進出や政治参加における男女の平等度を表す指標だそうです。オランダは27位、日本は110位とのこと。小難しいことは置いておくとして、オランダに来て日本と違うなあと感じた体験をいくつかご紹介したいと思います。
ベビーカーを押す男性、自転車に子供を乗せた男性
日本で子育てをしたことがないので比べようがないと言えば比べようがないのですが、アムステルダムの私が住む地域ではよく見かける姿です。保育園はだいたい朝の7時30分から子供を預かってくれるので、出勤前に子供を預けるお父さんたち。雨、雪、風の日も、たいてい自転車での送迎です(我が家も、そう)。私の周囲のお母さんたちによると、送迎は交代か、行けるほうが行く、雨の日はくじ引きかジャンケン(我が家も、そう)だそうです。オランダでは毎週40時間働く(1日8時間労働)契約が基本ですが、かつて私がそうしていたように、32時間での契約も可能です(週4日勤務)。それだけお給料は減りますが、1週間に1日、子供と向き合う時間ができます。男性で32時間契約をする人はまだ少ないようですが、36時間契約(2週間に1回、お休みをもらう)をして、子供との時間を作る人もいます。そのせいか、平日の午前・午後にお父さんたちが子供と公園で遊ぶ姿も珍しくありません。
スーパーに見る男女比
半々とはいかないにしても、3〜4割は男性客ではないかな、という感じです。時間帯にもよりますが、若い学生さん、子連れの男性、中年男性と幅広い年代の男性を見かけます。店舗のアルバイト店員さんの男性比率も5割程度かな、という感じ。ちなみに私が住むエリアにあるスーパーのほとんどでセルフ・チェックアウトが導入されているため、店員さんの数自体が少ない気がします。セルフ・チェックアウトとは、自分で商品のバーコードをスキャンして、会計を済ますシステムです。支払いはデビットカードのみ(ICチップのついた銀行のカード決済)。いわゆる「コンビニ」はないのですが、お昼時になるとミニ・スーパーのようなお店でパン、ハム、チーズを買う学生を多く見かけます(男女ともに)。オランダ人のお昼ご飯はとても質素で、サンドイッチをちゃちゃっと食べる人が多いです。そもそも倹約家が多く(と、私は思う)ほとんどの学生や会社員が、質素なサンドイッチをジップロックなどに入れて学校や職場に持参します。
二人とも女性である私たち「婦婦(ふうふ)」の場合
日本人の友人に何度か言われたことがあります。それは、「由梨たちは二人とも女性でいいね。家事でもめることなんてないでしょ」。大間違いです。二人だけのときにはたいして負担ではなかった家事。でも子供が生まれてからは、洗濯、掃除、買い物、ゴミ出しなどの日々の家事にまつわる回数がぐぐっと増えました。これによる負担とストレスから、どちらが何をするかで小競り合いをするようになりました。子供が生まれてからというもの、これまでの「気づいたほうがやる」方式では回らなくなったのです。女同士だから家事でもめないんじゃない? という質問の根底には、「女だから当然家事はこなすもの」という偏見があるのではないかな、と思います。この質問、特に女友達から聞かれます。逆に男性同士のカップルには、「じゃあ家事はどっちがやるの?」なんて質問をするのでしょうか?
答えはシンプル。「できるほうがやる」です。男性カップルでも同じだと思います。そもそも私たち、女性同士という性別に関する共通点はあれど、家事に向き合う姿勢(そもそも日本人とアメリカ人)が違います。料理にしてみれば、時短や品数、栄養バランスを重視する私と、料理は具材選びから入り、スパイスはオーガニック、オーブンで何時間もかけてする料理をするパートナー。仲良く台所には並べるわけもない(笑)。そういうわけで、保育園から娘が帰ってきてから15分以内に夕食を準備する必要がある平日は私がごはんを担当、週末はパートナーが担当する、と決まりました(片付けは食洗器ですが、どっちが入れるかで、また小競り合い有り)。
「機械が壊れたらどうするの?」「電球が切れたら?」という質問も何度か受けましたが……。これも「できるほうがやる」です。ベネさん(私のパートナー)は情報セキュリティーの仕事をしていて、何かが壊れるとまずはマニュアルを読みます(私は電源を入れたり、消したりするタイプ)。そこから問題解決できなければ、ググる。それでも解決できなければカスタマーセンターにメールする。ほとんどの問題は、グーグルで解決できます。電球については、脚立にのぼって電球を換えるだけ。それだけのこと。一人暮らしの女性も、ふつうにやっていることではないかと思うのですが……。まれに、「瓶詰が開けられない」という事態が発生します。「ああ、力がもっとあればなあ」と思うけれど、これもインターネットが解決してくれます。「瓶開かない 開け方」などの検索で解決です。
男女差は生まれた瞬間から始まっている!
子供ができて気がついたのですが、男女区別はかなり幼いころから始まっています。それは、「男の子は青、女の子はピンク」に代表される色差別。赤ちゃん用のおもちゃもしかり。娘が誕生した際、いただくプレゼントがピンク一色にならないように、お友達にはジェンダーニュートラルな色を頼みました。黄色、みどり、紫など。子供服も、お店では男女に分かれています。もっと顕著なのは、おもちゃです。おもちゃ屋さんに行くと、3歳くらいからおもちゃは男の子用、女の子用ときっかり分かれており(私が経験する限りアメリカ、オランダ、日本はそう)、男の子は乗り物系、女の子は家事系です。絵本ですら、男女別のテーマがあります。こんなに幼いころから「男女別」なものを大人が子供に与えているのでは、大人になって「男はこう、女はこう」というイメージががっちり組み込まれてしまうのも不思議ではないですね。こういう固定観念、最近は崩れてきているようですが、公園でも「男の子なんだから、泣かない!」なんて言うお母さんを見ると、いたたまれない気持ちになります。
自分もふくめ、LGBTの方たちの中でも、小さいときにこのような性別による枠組みに苦しんだり、悩んだ方もいるのではないかと思います。私はスカートが嫌いで、ひらひらがついた靴下も大嫌いでした。おとこおんな、とからかわれたりもしました。その一方で、男の子の級友に対して「男のくせに女々しい」といった陰口をたたいたこともあります。自分も嫌な思いをしたけれど、他の人にも私の固定観念によって嫌な思いをさせたこともあったはずです。
これまで「男女」というバイナリーの比較をしてきましたが、もちろん、どちらのジェンダーにもピンとこない、Xジェンダーの方たちもいます。今は自分の娘も、娘と思っているけれど、大きくなって彼女が「自分はどっちでもない」と言うかもしれません。考えてみると、日本にいたときの私は、かなり「保守的」レズビアンだったのかも、と最近思うようになりました。バイセクシュアルの方々に対しては「どっちつかずだな」と考えたりもしてました(今考えると、本当に恥ずかしいし、申し訳ない)。オランダに来て、バイセクシュアルの友人が身近にできたり、トランスジェンダーの写真を撮り続ける写真家と友達になったり、私の交友関係にも広がりができました。その中で、「何でもいいじゃん」と考えるようになりました。これまでの性別や性差の固定観念から解放された気がします。その過程でいかにレズビアンである自分にも性別やそのほかの属性に対する偏見があったかを痛感しました。「何でもいいじゃん」と考えるに至った経緯ですが、おそらく「個人・個性の尊重」が培われたことにあると思います。オランダに来てからの友人関係の広がりや、友人同士で交わされる意見交換を経て「自分をそのまま受け入れてもらう」体験を通じて、「私も友人や知人をそのまま受け入れる」クセがついたのかな? と思います。人にそうしてもらう(受け入れてもらう)ことで、自分もそうする(受け入れる)ようになった、ということでしょうか。意識して変わったわけではないと思いますが、今考えてみると、そのようなプロセスを経たのかな、という感覚です。
かつて、カルーセル麻紀さんは「世の中には男と女しかいないなんて私はウソだと思う」とおっしゃったそうですが、本当にその通りだと思います。
東京都台東区出身。2009年にエラスムス大学大学院留学のためオランダに移住。
2010年に同性パートナーとワシントンDC(アメリカ)で結婚。現在アムステルダム在住。3歳になる娘の子育てに奮闘しつつ、アムステルダム自由大学大学院にてHRマネージメントを勉強中。