初の政権交代と「人権立国」

 台湾独立を党是として誕生した民進党の陳水扁は、「人権立国」を政権のスローガンにかかげ、人権保障基本法の制定を推進した。行政院法務部が2001年3月に起草した同法草案の24条では以下のように規定していた。

 ①国は同性愛者の権利・利益を尊重しなければならない。

 ②同性の男女は法にもとづいて家族を形成し、子どもを養子とすることができる。

 法案の起草説明では、憲法7条の平等権にもとづくものであることと併せて、以下のように記している。「同性愛の観念はしだいに世界各国で承認されるようになっており、同性愛者の人権を保護するため、第1項では国は同性愛者の権利・利益を尊重しなければならないと規定し、第2項では同性の男女は法にもとづいて家族を形成し、子どもを養子とすることができると規定した」

  この法案はその後、総統府人権諮詢委員会を通過するが、閣内でも内容全体に反対の声があり、立法手続に入ることなく葬り去られた。

 台湾は国連の加盟国ではなく、世界人権宣言や各種人権条約の締約国でもない。しかし、この頃から国際人権の水準に合わせることが、国際社会における地位の向上につながるとの意識から、人権の法的な保障が積極的に取り組まれていた。最近では人権条約を国内法化することで、国内的な効力の確保に努めている。2009年には国際人権規約(自由権規約、社会権規約)の施行法を、2011年には女性差別撤廃条約施行法を採択した(鄧衍森『国際人権法 理論與実務』元照出版、2016年、66頁参照)。

 さらに、自主的に締約国と類似の定期的外部審査を実施し、外国の専門家からの提言を受けている。2013年2月には両人権規約、2014年6月には女性差別撤廃条約の履行に関する外部専門家による審査報告書のなかで、台湾政府は同性カップルに対する法的保護の欠如を改善するよう勧告を受けている。台湾はその国際的な地位の特殊性ゆえ、国際人権条約の正式な締約国以上に、国際人権に敏感に反応する環境にある。このことは台湾がアジアで初めて同性婚法制化のテープを切ることができた背景のひとつとなっている。

 このように早くも2001年に同性間で結婚する権利を認める法案が、政権によって準備されていたことは注目に値する。この法案は採択されることなかったとはいえ、これがきっかけとなって、当事者運動のなかで同性婚がテーマとして意識されるようになる。祁家威氏による同性婚を求める個人的な動きは、先駆的に1986年以降、あったものの、台湾における本格的な同性婚運動は、政府によって起動のスイッチが押されたことになる。

2006年最初の同性婚法案の提出

 当事者団体が明確なビジョン、要求を打ち出す前に、2006年10月、民進党の立法委員(国会議員)、蕭美琴氏が立法院に最初の同性婚法案を提出した。本法案は8ヵ条からなり、第1条は以下のように規定していた。「同性男女の合法的婚姻関係、家族を組織する権利を実現し、憲法が付与した一切の権利義務を保障するため、ここに本法を制定する」。また、5条ではレズビアンのカップルの一方が産んだ子を、他方の婚生子と見なすと規定していた。

 法案は38名の議員の賛同を得て、手続委員会に提出されたが、反対にあい、その後の手続には進むことができなかった。当事者団体にとっても、identityの確立、居場所の確保、ネットワーク作りが当時の主要なテーマであり、同性婚に活動のリソースを投入できる段階ではなかった。

 それでも同年8月に老舗の女性団体「婦女新知基金会」が、「伝統家族、差別待遇打破:多元的家族へ向けた法改正に向けて」と題する座談会を開き、この問題に一定の関心が集まった。しかし、女性団体もLGBT団体も、この段階では同性婚を推進すべきかどうかをめぐり立場がはっきりしていなかった。同性婚は下手をすれば、法律婚の優越的地位をさらに強化してしまう(=一元的家族の固定化)ことにもなりかねないとの懸念があったし、婚姻とは別異のパートナーシップ制度を求めるべきだとの意見もあった(簡至潔「従『同性婚姻』到『多元家庭』——朝向親密関係民主化的立法運動」台湾人権学刊第1巻第3期、2012年、192頁参照)。

蕭美琴立法委員

 

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