警察により繰り返される“臨検”という名の嫌がらせ
台湾では1987年まで続いた戒厳令のもと警察は、権威主義的政治の下僕(しもべ)として、国家安全、社会治安を守るという大義名分のもと恣意的な権力行使により、しばしば人権を脅かしてきた。台湾には日本同様、同性間の性行為に明文で刑罰を科す法律は存在しなかったものの、違警罰法(1991年廃止、社会秩序維護法に移行)の「行跡不検」(挙動不良)やその他の「妨害風俗」(風紀を乱す行為)を根拠に、同性愛者を逮捕、拘留することがしばしば発生した(*3)。
同法廃止後もつい最近まで、同性愛者(といっても主にゲイ)が集まる場所では、頻繁に “臨検”と呼ばれる警察による手入れが行われた。ゲイバー、ハッテン場(二二八公園など)、ゲイサウナなどに、警察官がどやどやと押し入り、そこにいるゲイたちにIDカードを提示させ、ときには氏名を記録したり、IDを持たない者の身柄を拘束したりもした。こうした警察の突然の“臨検”は、身分を知られたくない同性愛者たちを震え上がらせることとなった。
派手な “臨検”としてとくに有名な出来事としては、1997年7月30日に発生した「常徳街事件」がある。台北随一の野外ハッテン場である二二八公園の門が深夜0時に閉まると、ハッテン中のゲイたちは公園脇の常徳街へと場所を移して語らいを続けた。そこにこの日はなんと15人もの警察官が拳銃を携えて大規模な“臨検”に入り、40~50名ものゲイを警察署まで連行し、顔などを撮影、供述調書をとった。社会秩序維護法の「公共の場所での大騒ぎ」を理由に恣意的な取り締まりを行ったのである。これにはゲイ団体「同志公民行動陣線」が専門調査チームを立ち上げ、「誰のための治安、誰のための人権」と題する座談会を開くなどして、抗議の声を上げた。
二二八公園の門
さらに1998年12月には「AGスポーツジム事件」が発生した。AGというゲイ向けのスポーツジムスタイルのハッテン場に“臨検”が入り、ゲイたちに猥褻な写真を無理に撮影させ、証拠をでっちあげようとした。従業員が供述調書へのサインを拒んだところ、公然猥褻のかどで起訴された。不正な方法による調書作成を理由に、1年後にようやく無罪判決を得て一件落着したという事件である。
また、2004年1月17日には農安街ゲイ乱パ事件が起きた(*4)。台北市農安街のある居室でゲイたちが乱交ホームパーティを開いていたところに、警察官が押し入り、93名ものゲイを連行、強制的に血液検査を受けさせた。しかも、メディアを引き入れ、意図的にスキャンダラスな報道を演出し、この中に28名のHIV感染者がいたことを公表した。ゲイコミュニティに大きな衝撃が走り、臨検を受けた1人が自死してしまう。こうした臨検が行われた背景のひとつは、当時のエイズ予防条例15条に、感染者が感染していることを知りながら、性行為に及び、相手に感染させる行為を犯罪とし、7年以下の懲役を科すと規定していたことがあった(2007年廃止)。この事件に対してはHIV問題に取り組むNGO「AIDS感染者権益促進委員会」が警察による白色テロであるとして批判の声を上げた。
農安街乱パへの臨検@蘋果日報
こうしたゲイが集まる場所への警察による“臨検”は、エイズ予防条例廃止後も薬物使用の嫌疑などを口実に、つい最近まで続いている。台湾には同性間の性行為に刑罰を科す法条はなかったものの、社会に蔓延する同性愛者に対するつよい差別意識、スティグマを背景に、このようにしばしば警察による恣意的な取り締まりが横行していたのである。
[*3]官暁薇「台湾民主化後同志人権保障之変遷」中央研究院法学期刊2019年特刊1、578頁参照。
[*4]喀飛など『以進大同――台北同志生活誌』(台湾文学基金会、2017年)120頁参照。